【イベント報告】講演会「福島原発被災者の人権を求めて ~原発事故自主避難者 森松明希子さん講演会~」を開催(2019年6月8日)
東日本大震災による東電第一原発の事故から 8年が過ぎました。
強制的に避難を余儀なくされた人々もいれば、安全を考え自主的に避難せざるを得なかった人たちもいます。
2017年11月、国連人権理事会において日本に対し、原発事故被害者の人権に関する4つの勧告が出されました。
その中の一つとして、「国内避難民に関する指導原則」の適用も求められています。
日本政府は勧告に同意を公表しており、その進捗報告を 行うことになっています。
今回、2018年3月の人権理事会本会議において、被災・避難の現状を訴えるとともに、日本 政府に対して勧告を完全に受け入れ実施することを求めるスピーチをされた森松明希子さんをお招きしました。
森松明希子さんのお話の要旨
【事故から8年経ったのに、被ばく防護の施策や法律や制度ができていない】
2011年3月11日は福島県郡山市に家族4人で住んでいたが、現在、子ども2人と共に、大阪市に避難している。
全国47都道府県には安全のために避難を続けている「国内避難民」がいる。福島原発事故は、収束からほど遠い状態にある。
2018年3月の国連の人権理事会でスピーチをおこなった。
<スピーチの内容>
森松明希子と申します。避難者である母親たちと、グリーンピースとともにきています。
わたしは、2011年5月、福島の災害から逃れるために、二人の子どもを連れて避難しました。
原発事故直後、放射能汚染は広がりました。わたしたちには、情報は知らされず、無用な被ばくを重ねました。
空気、水、土壌がひどく汚染される中、わたしは、汚染した水を 飲むしかなく、赤ん坊に母乳を与えてしまいました。
放射能から逃れ、健康を享受することは基本的原則です。日本の憲法は、「全世界の国民 が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利」と書かれています。しかし、日本政府は市民をまもるための施策は、ほとんど実施してきませんでした。
そのうえ、日本政府は放射線量の高い地域への帰還政策にばかり力を注いでいます。
日本政府は、国連 人権理事会での勧告を、ただちに、完全に受け入れ、実施をしてください。
国連加盟国のみなさんの日本の人々の権利擁護のはたらきに感謝します。
今後も福島、そして東日本の、特に、脆弱な子どもたちを、さらなる被ばくからまもることに力をかしてください。
ありがとうございました。
(講演に戻る)
強制避難区域の人びとは故郷を奪われたり、農業をやっている人びとは農作物が売れなくなったり、酪農家の人びとはお乳を搾っても泣きながら畑に捨てている。第一次産業の人びとは、生業を破壊されている。
そして、幼い子どもたちを連れて若い世代が逃げることも起きている。
ご自身が同じ体験を同じ状況をした時に、あなたならどうするか考えて欲しい。
たまたま、2人の子どもがいたから、福島県郡山市から大阪に避難した。
8年経って帰れない理由は、子どもがまだ8歳だから。
夫は8年間郡山市に住んでおり、下の娘にとっては生まれた時から、
家が福島と大阪に2軒ある状況で、これを説明しながら暮らしてきた。
被ばくに子どもはとてもぜい弱だから、避難している。
目に見えない放射能汚染の状況がつまびらかにされていない。
低線量の被ばくにさらされながら生きてゆく状況の中で、どのような影響があるかきちんと知らされていない。
被ばく防護の対策もされていない。
事故から8年経ったのに、被ばく防護の施策や法律や制度ができていない。
この国は、放射線量の高い地域に人びとを帰還させる政策ばかりに力とお金をかけており、これ自体が人権侵害にあたる。
【強制避難だろうが、自主避難だろうが、国内避難民に対して、人権が保障されなくてはならない】
この横浜では、数年前に自主避難している小学校5年生くらいのお子さんが、
10人くらいの同級生からいじめを受けて100万円くらいを恐喝された。
このお子さんは、私たちと同じ「自主避難者」だった。
「何で100万円も自宅にあるのだろうか」「福島からの避難者だから賠償金をもっている」
という声が聞こえてくるが、福島に住所を置いているので銀行口座を作っても、キャッシュカードが福島に届いてしまうので受け取れない。
強制区域外の自主避難者は、銀行の預貯金にも苦労している。
(自主避難者は)避難するにも費用が掛かるが、賠償金をもらえず、
親類から借りた現金をタンスにしまって、自主避難というよりは“自力”避難をしている。
「自主避難」という報道により、「賠償金でお金もあり、勝手に避難した」という印象をもたれている。
強制避難だと、住宅が用意され、賠償され生活が保障される。保育園にもすんなり入れる。
銀行口座も開設できる。
強制避難でないエリアの場合は、汚染があり避難しても、銀行口座も開けないし、家も用意されないし、仕事もないし、保育園も入れない。
避難の必要性・合理性がある場合には、強制だろうが、自主だろうが国内避難民に対して人権が保障されなくてはならないのに、強制と自主の線引きがおこなわれている。
※(補足)自主避難者の口座開設については、「口座開設を認めない銀行」「口座開設を認めるが、キャッシュカードの発行を認めない銀行」「口座開設を認め、キャッシュカードは福島に送ることを条件に認める銀行」など、銀行によって対応が異なる。
小学校の給食費については、学校が指定した地方銀行に口座を作り引き落とす必要があり、弾力的な運用をしてくれる他の銀行で代替できない。
【矮小化される事故と被害】
原発が爆発して放射能がばらまかれたが、日本では「原発事故」「アクシデント」と呼んでいる。
しかし、世界からは福島は、事故とかいう、軽い問題ではなく「カタストロフィー」「惨事」「大惨事」と呼ばれている。
「チェルノブイリ・カタストロフィー」「福島・カタストロフィー」「大惨事」と訳されている。
実際は“自力”避難なのに“自主”避難と呼ばれ、本当の被害が見えにくくなってしまったり、本当の被害者が声を上げづらい状況にある。
また、事故をアクシデントと軽く言ってしまうことで、被害を矮小化してしまっている。
【子どもの権利条約に違反】
子どもについては、子どもの権利条約の4つの基本原則 (1.子どもの「最善の利益」を第一に考慮する、2.子どもの生きる、発達する権利、3.子どもの差別されない権利、4.子どもの意見表明を認め尊重すること)に、違反する状況が8年間、継続的に続いている。
子どもの「最善の利益」・・・子どもが育つに最善な状況を与えないといけないが、避難をする権利を求めて裁判をおこなわなければならい状況にある。
【共有されない原発被害】
私は原発事故のことを最近「放射能ばらまき事件」と呼んでいる。神奈川県は原発からの距離が大阪までの半分であり近いが、関西くらい離れていると福島第一原発の事故は、下手をすると「チェルノブイリより遠い話をしているの」という感覚、距離感がある。
「どう身近に自分事と感じてもらえるか」を避難者は思っている。
この国は54の原発を持っているが、原発には核のゴミもあり、持っているだけでもリスク。原発を動かすとリスクは高くなる。
原発がなくてもやってゆけることが実証されているのに、原発を持っているだけではなく、エネルギーとして推進している国に私たちは住んでいる。
3.11を経験しているのに。
国内避難民の私たちとしては、「原発に反対」「賛成」「推進」「推進でない」という議論以前に、福島第一原発の事故の被害が、いかに共有されていないかということを突き付けられていると思っている。
「どんな被害なのか、まったく知らないから、そのようなこと(原発の推進)ができるんでしょ」という感覚を持っている。
「避難者の一部に強制避難で帰れない人がいるかもしれないが、それは原発の本当に周囲の人たちだけでしょ。
それ以外の人たちは別に被害も受けていないし、福島県に人はいっぱい住んでいるから問題ないんでしょ。
避難を続けている人は、自主的に大事を取っているだけ。でも、ちっちゃい子に何かあったらかわいそうだから、何となく理解できる」という程度の認識だから、原発を推進しつづけるという構造が見える。言葉では「原発反対」と言いながら、でも原発は止まっていないという事実がある。
【避難は権利】
明日、原発が爆発したらどうするか?何の権利が侵害されるか、考えたことがあるか。
あなただったら、逃げるか?逃げないか?私は今、逃げている。
国内避難民による国と東電を訴えている裁判のキャッチフレーズ「ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来」の意味を知って頂きたい。
原発事故で「ふつうの暮らし」が奪われた。私たちは、特別な人だった訳ではない。
避難の権利、すなわち「逃げる権利」を、裁判で主張しなければならない社会だったとは、思ってもみなかった。
普通、住宅密集地で火事があれば、走って逃げる。火事の場合は、五感で感じられる上に、危険なことを知っているから逃げられる。
原発事故が起きた時に逃げられるか。一つの自治体で放射能汚染が止まるわけではない。被害は、県境で止まったりしない。
原発が爆発したらどうするか、判断基準や情報をどう取るか、意識したことはあるか。
原発は爆発しても、管理している企業や国が教えてくれなければ、私たちは知ることができない。
放射能には、においも、色もない。痛いとも感じない。
原発問題の本質は、放射能がばらまかれたが、被ばく対策や防護が制度化されていないこと。
被ばくを一杯すると判っている高濃度の汚染地域から、子どもを優先的に出すという道筋もたてられていない。
【原発事故の教訓より、「安心・安全」をアピールするオリンピック】
オリンピックの聖火ランナーを、あえて福島から走らせる。福島の安心・安全を世界にアピールしたいから。
国内避難民の存在を、あえて居るのに無視をして、聖火ランナーを走らせ、野球やサッカーといった屋外のスポーツを福島でやって、
何を世界にアピールできるのか?オリンピック誘致で沸き立っている日本という国に水を差したい訳ではない。
オリンピックは、名前が「復興五輪」とついていた。復興のための、福島原発事故を教訓とするような、
そういったことを世界に発信するような復興五輪であって欲しかった。
避難は、被ばくの問題である。被ばくは目に見えない。目に見えないから、ほったらかしで良いのか?
福島の子どもの小児甲状腺がんが何人出ているのか?オリンピックを嬉しいと言っている人の何人が知ってくれているのか、と思う。
人類史上、チェルノブイリ事故を経験していて、小児甲状腺がんが多発し、WHOが原発事故との因果関係を認めている。
8年前の福島原発事故当時、チェルノブイリと同じ状況となることがわからなかった。
当時は、原子炉の形も異なり、社会主義国のずさんな管理のチェルノブイリと日本の最新鋭の福島は違うと言われた。
また、小児甲状腺がん(通常は、100万人に1人か2人しか発症しない)を心配して、遠くに逃げて行くなんて、
頭がおかしいか、神経質か、ヒステリックか、ナーバスなお母さんと言われた。
チェルノブイリの文献を見ると、疾患は小児甲状腺がんだけではない。白血病や心臓病(若い人の急死が増えている)もある。
チェルノブイリの人たちの声、証言は、本当に参考になる。
本来なら、日本政府がチェルノブイリの人たちの声、証言をまとめて、注意を促してくれる姿を望んでいるが、(政府は)教えてくれない。
【封じられる「鼻血」の経験】
福島の放射能汚染地域の子どもをもつお母さんは、子どもの「鼻血」を経験する。
うちの子どもは、「鼻血」を出していない。なぜなら、うちの子どもは、事故当時、0歳と3歳で、放射能を浴びるから外に出てはいけないと言われ、家の中に本当に閉じこもっていた。
幼稚園の行き帰りの一瞬しか外に出なかった。土遊びも一切しなかった。
小学生くらいのお兄ちゃんお姉ちゃん、中学生は、家の中に閉じこもることはありえなく、特に小学生の子どもはこっそり外に遊びに行ってしまう。
大阪に避難しているお母さんは、「普通の子どもの鼻血の出方ではない」とみんなが口を揃える。
この声を拾って、精査して調べて、統計をとれば、(事実として)わかったと思う。
「美味しんぼ」事件というのがあった。漫画が一時、連載中止になった。
漫画の中で、福島に行った料理人が鼻血を流す画像があり、「風評被害をあおるな」「福島が危険だというようなアピールになる」「そんな漫画は許さん」といって、連載が止まった。
現職の大臣、閣僚からを含め、「お母さんは根も葉もないことを、風評をあおるから言ってはならない」
「お母さんが神経質になりすぎている子どもが、鼻血を出す」といったことが言われた。
「息子や娘が鼻血を出したから避難したんです」という、お母さんの真実の声は、封殺されてしまった。
「頭のおかしい、神経質で、ナーバスなお母さん」といってバッシングされたり、「福島が復興に向かって頑張っているのに水を差すな」といって怒られるから、事実を語れなくなった。
言論を封じられることを体験した。
原発事故が発生し、放射能がばらまかれれば、一時的に、無用な放射能を浴びせられるという被害を被る。
生命、生存、健康に関する権利の侵害である。強制避難地域の人は、居住権を奪われる。
農業の人は、職業選択の自由を奪われる。そして、言論を封じられるという2次的な被害も被っている。
【増加する小児甲状腺がん】
事故から8年経ったが、福島県民の健康調査が、かろうじておこなわれている(やめる動きが強まっている)。
事故当時、18歳未満だった子どもは38万人しかいないが、200人以上が小児甲状腺がんになっている。
100万人に1人か2人しかならないはずが、38万人全員が受けていない(避難などで受けれない)のに、200人を超える子が小児甲状腺がんになっている。県民健康調査委員会の先生は、多発までは認めているが、
「因果関係は認められない」と言ってしまう。8年前に言っていたことが微妙に変わってゆく。
小児甲状腺がんが増え始めたら、「チェルノブイリの時は、計測器が古くて発見できなかったが、今は計測器の性能が上がり、たくさん発見できるようになった」。
「因果関係の可能性はあるが、わからない」なら理解できるが、「関係ありません」と言い切っている。
子どもが生きる権利、最高水準の医療を受ける権利を侵害されている状況にある。
【自分の過去を話すことも許されない社会】
被ばくを浴びせられ、「子どもたちの鼻血を見たから避難した」というお母さんの口が封じられ、「避難をしてきた」といったらいじめられ恐喝され、「自分自身が鼻血が出た、体調不良になった、原発事故のせいだと思う、
被ばくしたせいだと思う、調査して欲しい」という子供たちの思いや言論、希望、調べて欲しいという声を、どれだけ、大人、社会は奪っているのか。
自分の親が「避難をしていることを、言ったらいじめられるから、うちは単身赴任で」とか、「仕事の都合で引越ししてきたと言いなさい」
と子どもに教える。子どもに自分の育ちやアイデンティティを放棄させることになる。
今、高濃度の汚染地域の避難指示を解除して、避難者を送り返している。
避難が長くなり、経済的に厳しくなり、泣く泣く高濃度の汚染地域に戻る人もいる。
「子どもに避難していることを隠させていました。福島に戻った時に、避難していたことを絶対言ってはダメと子どもに言い聞かせました。」
という話もある。子どもの意見表明権とアイデンティティを奪っている。原発事故で避難することは当たり前。放射能をばらまかれたら、どうして親は、堂々と避難してはいけないのか。
放射能をばらまかれたら、逃げるのが当たり前で、それを受け入れる社会でなかった時に、避難していたことを隠さなければならない。
避難費用に対する制度や賠償がなく、戻らざるを得なくなったお母さんが自分の子どもに「避難していたことを隠しておきなさい」といって帰ってゆく。自分の人生を、子どもたちは、黒塗りさせられている。犯罪を犯した訳ではない。
福島には避難していない人たちもたくさんいる。合理的な線引きによって強制避難の線引きがなされたわけではないのに、そこに人がいるということが安全キャンペーンに使われていて、被害者同士を分断させ、忖度しあって、子どもの権利に基づく主張さえも、共有されていない。
火事が起きたら逃げる、地震が起きて海沿いに住んでいたら高台に逃げる、これを非難されることはない。
原発だけは、逃げていたらそれを言えない。避難していたけど戻ることも言えない。過去や被害の経緯を話すことさえも許されない社会は、
絶対にあってはならない。
【放射線被ばくから免れ健康を享受する権利の確立を求めて】
知って被ばくすることと、知らずに被ばくさせられることは、全然意味が違う。
レントゲンなどは、自分でコントロール・判断している。
原発事故は、無差別にYESと言っていないのに放射能を無用に浴びせる。
これに対しては、堂々と拒否をする権利がある。被ばく防護の対策をとったことにより、アイデンティティを否定されることがあってはならない。
被ばくを拒否する権利、自分が被ばくを回避したい時は選択的に被ばくを回避できる権利、被ばく情報を自分でコントロールできる権利の確立が、この国には求められている。
講演会の最後には、安倍総理宛に、国際的な人権基準に沿った措置を求めるはがき書きをおこないました。
<はがきの文面>
内閣総理大臣 安倍晋三殿
福島原発事故から8年が経過しましたが、被害者・避難者の人権はいまだに守られていません。
2001年に国連の社会権規約委員会から日本政府に対し「原子力施設の安全性に関する透明性の確保と関係住民への適切な情報提供」が勧告されました。
2012年の人権理事会の定期審査では「住民の健康、生活の権利」について、2013年の特別報告者の勧告では、「被害者特に社会的弱者を政策決定のプロセスに参加させる」被害者の権利を守ることを重ねて勧告されました。
2017年11月の人権理事会の定期審査では、「国内避難民に関する指導原則」の適用などが勧告されました。
安倍総理の強いリーダーシップのもと、国際的な人権基準に沿った措置が速やかに実行されることを強く要請致します。
(以上)